<合気道についておもう事>
<流派同士の対立>


〜合っている合気道?の巻〜


流派が違うと「こっちの合気道が合ってる」
なんて言う人がいます。

何に合っている合気道なのでしょうか?
盛平先生には会えません。だから盛平先
生に<合っている合気道>はもう教われません。(近い合気道はあるかもしれませんが
。)
合っている合気道はもう、無いのです。


結論〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

合ってる合ってないなんて言っているより

素直に<善い点>を学び認め合うのが賢いと思います。

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善い点=自分で善いと思った事



<合気道を習ってたいせつな事は…>


大切なのは

「習った合気道」から何を学んで自分の中
で役に立てていくかではないでしょうか?

大先生に習った「合ってる合気道」も自分で役に立てる意思がなければ、「役に
立たない合気道」になってしまうし、「合ってない合気道」も自分の意思次第で「すばら
しい合気道」になる可能性があると思います。







<うまくなりたい…って?>
rimocon@は@運動したいだけです。練習にいくうちに
A「すきな先生に近づきたい」と思って、先生の動きをよくみています。
その結果、練習メモが増えていきました。
頭の中で考えて、増えたわけではありません。


あんまり深く考えると、理論に「とらわれます。」

「理論にとらわれては当たり前のこともできなくなります。」
「足を前に出すんだ」と思っていては(理論にとらわれていては)
いつも当たり前に、歩いてることもぎこちなくなってしまいます。
(当たり前の事もできなくなる。)


適度に合理的に考え、適度に動くのが丁度よいと思います。
(考え過ぎの人はもっと動き、動き過ぎの人は少し考える。ということです。)



そうすると「うまくなったね」と言われます。
「うまくなる」というのは目標に向かってがんばった後からついてくるものです。


「うまくなろう!」と思ってはイライラします。注: 文字用の領域がありません!
<当たり前の事…>
上の2つから…
…ということがわかります。

しかし、これはよく見ると
当たり前の事を言っています。


そうなんです
あたり前の事が
いちばん、むずかしいんです。